江戸幕府 鉄砲組百人隊

江戸時代に現存した徳川鉄砲隊や鉄砲保存会及び鉄砲地域の紹介

タグ:大日本帝国



「零戦里帰りプロジェクト」を進めるゼロエンタープライズ・ジャパンは27日、零式艦­上戦闘機(零戦)のテスト飛行を海上自衛隊鹿屋航空基地で行った。操縦桿(かん)を握­ったのは、米国で零戦操縦のライセンスを持つスキップ・ホルム氏(72)。機体は、爆­音を響かせ天高く舞い上がり、再び日本の大空でその雄姿を見せた。

映像素材の購入はこちらから https://www2.jiji.com/f/enq/form.php?...


 
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零戦が再び日本の空を飛ぶそうです!!
見たいね!!

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零戦 再び日本の空へ 組み立て完了、飛行許可待ち(産経)
2015.8.13 05:00


太平洋戦争が終わるまでに約1万機が生産された旧日本軍の零式艦上戦闘機(零戦)を日本の空で再び飛ばそうとする試みが進んでいる。今も飛行可能なのは世界で5、6機とされ、うち1機を入手した日本人が昨年、米国から帰国させた。既にエンジン始動テストに成功し、国土交通省からの飛行許可を待つばかりになっている。

所有者は、ニュージーランドでパイロット用ジャケットの製造会社を経営する石塚政秀さん(54)。「戦後70年の年に日本で飛ばすことで、戦争を考えるきっかけにしたい」と話している。

機体は1943年ごろに生産された三菱重工業製22型。70年代にパプアニューギニア・ラバウル近郊の飛行場で見つかった。その後、エンジンを交換するなどして飛行できるまでに修復された。
  
 
【関連360°パノラマ】
■飛行可能な零戦の操縦席 を見る(2014年11月21日、さいたま市で撮影)
 

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 2015年7月13日(月)
「零戦里帰りプロジェクト」零式艦上戦闘機のエンジンを鹿屋航空基地内で始動! 国内飛行実現をめざし協賛を募る

「零戦里帰りプロジェクト」を推進する株式会社ゼロエンタープライズ・ジャパン(以下、ゼロエンター)は、戦後70年を振り返る機会の提供を目的に2014年11月5日に入国させ、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)内で分割管理していた「零式艦上戦闘機」の組立を同基地内で完了。2015年7月7日にエンジン始動テストを実施したことを本日発表しました。

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戦艦「武蔵」(Wikipedia)

排水量
基準:65,000トン(完成時)
満載:72,809トン(完成時)
 
全長 263.0m
全幅 38.9m
吃水 10.4m
 
機関
ロ号艦本缶12基
艦本式タービン4基4軸
150,000馬力
 
速力 27.46ノット(公試成績)
航続距離 16ノットで7,200浬
乗員 約3,300名
 
兵装(新造時)
46cm(45口径)砲3連装3基9門
15.5cm(60口径)砲3連装4基12門
12.7cm(40口径)連装高角砲6基12門
25mm3連装機銃12基36門
13mm連装機銃2基4門
 
兵装(最終時)
46cm(45口径)砲3連装3基9門
15.5cm(60口径)砲3連装2基6門
12.7cm(40口径)連装高角砲6基12門
25mm3連装機銃35基105門
25mm単装機銃25基25門
13mm連装機銃2基4門       
12cm28連装噴進砲2基56門
 
装甲
舷側 410mm、甲板 200mm、主砲防盾 600mm
 
搭載機
零式水上偵察機・零式観測機他、最大7機
(カタパルト2基)

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 「戦艦武蔵」沈没状況が明らかに! 船体はバラバラ、中央部に激しい損傷〈dot.〉
dot. 3月13日(金)12時5分配信


米国マイクロソフト社の共同創業者であるポール・アレン氏は3月13日午前、フィリピン近海の沈む戦艦武蔵の「ライブ配信」を行った。艦首や艦の前部に装備されていた「15.5センチ砲」の砲塔、砲弾、機銃などが鮮明に映し出されたほか、長らく謎だった沈没状況も明らかになった。

 「15.5センチ砲」は「副砲」と呼ばれ、武蔵のなかで二番目に大きな“大砲”だ。船体から砲塔が外れた状態で海底に沈んでいた。また、砲身は失われていたが、内部の構造がわずかに見える。このほか、大砲の砲弾とみられる残骸も公開されたが、主砲か副砲なのか、現時点では判別がつかない。

 1944年10月、戦艦武蔵が米軍機の猛攻で撃沈されて以来、謎とされてきた沈没状況もわかった。海底に到達する前に、船の中央部分はバラバラになってしまい、ほとんど原形をとどめていない。「ある程度は原形が残っているのではないか」という期待もあったが、激しい戦闘のダメージはやはり大きかったようだ。

 とはいえ、艦橋は原形をよく残している。敵艦との距離を測る「測距儀」や双眼鏡を設置する部分も鮮明に映っている。ただ、注目が集まっていた主砲である「46センチ砲」の砲塔部分は見つかっていない模様だ。

 今回の調査結果を詳しく分析すれば、戦艦武蔵の“最期”がはっきりする可能性も高い。 

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海底の戦艦「武蔵」の新映像、ネットで生中継 US billionaire gives tour of Japanese battleship wreckage  


【動画説明】

米マイクロソフト(Microsoft)の共同創業者、ポール・アレン(Paul Allen)氏は13日、フィリピン沖のシブヤン海(Sibuyan Sea)の海底に沈む第2次世界大戦(World War II)中に撃沈された旧日本海軍最大の戦艦「武蔵(Musashi)」の様子をインタ-ーネットで生中継した。

 アレン氏は3日、自身が所有する深海探査船「M/Yオクトパス(M/Y Octopus)」で、シブヤン海の深さ1キロの海底で武蔵を発見したと発表し、映像-を公開してきた。4か国から集めた歴史的データと海底探査の「先端技術」を使い、8年-間探索した末の発見だったという。

「第2次世界大戦の戦艦武蔵を発見」というアレン氏のツイートは1万9000件近くリ-ツイートされた。

 フィリピンでは第2次世界大戦中に沈んだ日本の戦艦が多数発見されており、今では人気-のダイビングスポットとなっているものもある。映像は、同氏が公開したもの。(c)A-FP

2015年3月13日

Billionaire US explorer Paul Allen gives a tour of the undersea wreckage of the Japanese battleship Musashi.


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長崎造船所 史料館 戦艦武蔵コーナー

長崎造船所が太平洋戦争終結まで建造した80隻の世界に冠たる優秀な艦艇の中で、1942年(昭和17年)8月に竣工した戦艦「武蔵」は建艦技術の頂点に立っている。
 
主力艦の数の不足を個艦の優秀性で補おうと、極秘のうちに長崎造船所第二船台で建造された当時世界最大、最強の超弩級戦艦であった。1943年(昭和18年)2月には連合艦隊旗艦となり、太平洋各海域に転戦した。

1944年(昭和19年)10月レイテへ向けてブルネイを出撃し10月24日19時35分魚雷20発、爆弾17発、至近爆弾多数を受けシブヤン海に戦没した。
 
戦後11年経過した1956年(昭和31年)、日本にとっても長崎造船所にとっても第1番艦、甲型警備艦「はるかぜ」が誕生した。以来、船体建造、強度、運動性能の改善、並びに兵装の充実に力を注いで、排水量は5,000トンクラスになった。戦後の艦艇では兵装が著しく進歩しており、エレクトロニクスの発達で艦としての性能は飛躍的に向上してきている。

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竹田恒泰

作家
昭和50年、旧皇族・竹田家に生まれる。
明治天皇の玄孫にあたる。

慶應義塾大学法学部卒業。憲法学・史学の研究に従事。
全国に約6,000名の会員のいる竹田研究会代表、財団法人竹田研究財団理事長。

平成18年に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で山本七平賞を受賞。
本年度は『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)が発行部数30万-部を突破。


 
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