江戸幕府 鉄砲組百人隊

江戸時代に現存した徳川鉄砲隊や鉄砲保存会及び鉄砲地域の紹介

カテゴリ: 日本の伝統文化等

祝・天長節




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天長節の歌 12月23日 / 祝日大祭日唱歌八曲





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12月23日天皇誕生日一般参賀のお知らせです。


天皇誕生日一般参賀要領

期日 平成24年12月23日

参入門 皇居正門(二重橋)
(午前9時30分〜午前11時20分)
退出門 坂下門,桔梗門(ききょうもん),大手門,平川門,北桔橋門(きたはねばしもん)
お出まし(予定) ○天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿下,秋篠宮同妃両殿下

第1回 午前10時20分頃
第2回 午前11時頃
第3回 午前11時40分頃
 
【午後の一般参賀(記帳)】

場所 皇居内 宮内庁庁舎前特設記帳所
参入門 坂下門
(午後0時30分〜午後3時30分)
退出門 桔梗門(ききょうもん),大手門,平川門,北桔橋門(きたはねばしもん)(閉門:午後4時)



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板橋区立郷土資料館で、戦国時代末期から江戸時代初期にかけてつくられた甲冑などの展示会が、3月25日まで開催されているそうです。
また、2月11日(土)の午後1時半から「鉄砲の普及と当世具足の出現」と題して特別講演が行われます。

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平成24年2月6日(月)産経新聞


● 「当世具足〜大名とその家臣団の備え〜」開催

場所: 板橋区立郷土資料館

日時: 3月25日(日)まで開催
     午前9時30分〜午後5時(入館は4:30まで/月曜日は休館日)

特別展示は有料(入館料 高校生以上300円・小中学生100円)


● 特別講演「鉄砲の普及と当世具足の出現」

平成24年2月11日(土)
 午後1時半〜 (先着100名)



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明けましておめでとうございます。

本年も江戸幕府 鉄砲組百人隊をよろしくお願い致します。


平成二十四年 元旦


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12月23日天皇誕生日に皇居一般参賀に行ってきました。
寒くて風が強い日でしたね・・・。
まるで・・・・ようだ・・・。


(shinn0820さん作成動画より)

言っときますが管理人は真中ですよ。
言っている意味わかりますか・・・??

それでは

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もし近所に行ったら立ち寄ってみてください。

徳川ゆかり 計142点展示(asahi.com)

浜松市制100周年記念の特別展「戦国の覇者 徳川家康と浜松」が、浜松市美術館(中区松城町)で始まった。戦国時代、浜松城で17年間の青壮年期を過ごした家康や、秀忠、家光と続く歴代将軍たちゆかりの品々が展示されている。来年1月9日まで。

家康は三河・岡崎から1570年に入り、駿府城へ移る1586年まで浜松城を居城とした。29〜45歳の間で、武田軍に大敗北したり、秀忠が誕生したりと、その後の礎を築いたのが浜松の地だったとされる。

特別展では、国宝2点、重要文化財14点を含む142点を前後期に分けて展示する。信長、秀吉、家康と受け継がれた茶器の名品、家康らの直筆の手紙、秀忠が奉納した太刀、武具や馬具、戦国絵図などが並ぶ。


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戦国の覇者 徳川家康と浜松(浜松市美術館)

2011年12月3日(土)〜2012年1月9日(月・祝)<会期中、前期・後期に分け、一部展示替えします。>
<前期>2011年12月3日(土)〜12月18日(日)
<後期>2011年12月20日(火)〜平成24年1月9日(月・祝)
午前9時30分〜午後5時(初日は午前10時開館)
※入館は午後4時30分まで
※休館日:12月の月曜日、年末休館:12月29日(木)〜31日(土)(1月1日〜3日は開館します)

大人 1,200円(750円)高校生・大学生・専門学校生 700円(500円)小・中学生500円(300円)


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なんか・・・ありがたそうな米だなぁ〜・・・。

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贈り物に! “徳川家康献上米” 静岡(国産まるかじりネット)2011年11月21日

JA御殿場は、静岡市にある久能山東照宮の秋季大祭に米「ごてんばこしひかり」を献上したことを記念し、「国宝久能山東照宮献上米」として販売を22日から始めます。販売の許諾を久能山東照宮から受けました。

JA営農指導部は「付加価値のある商品として育てたい」と力を入れています。

JAのトップブランドと位置付けられるエコ栽培米(食味値80点以上)を使います。3袋(1袋450グラム入り)2000円で販売します。表には大きな葵(あおい)紋が刻まれています。久能山東照宮内やJA御殿場管内フレッシュハウス、道の駅ふじおやま、JA管内のAコープ店などで販売する予定です。

御殿場の地名は、徳川家康が晩年に宿泊施設として御殿を造営したことが由来ということです。久能山東照宮への米の献上も、それが縁となり企画しました。販売を前にJAの芹沢秋雄専務は若林洋平御殿場市長を訪ね、「県東部農林事務所や、多くの人の協力で米の消費拡大に向けた商品ができた」と完成を報告しました。若林市長は「葵の御紋入りで、もらってうれしい贈り物。インパクトがあり高級感もある」と評価していました。

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富士山

「ごてんばこしひかり」産地の歴史

「ごてんばこしひかり」は、富士山の麓に広がる北駿地域の標高300〜600mの準高冷地帯に、冷涼で昼夜の気温差が大きい気候や、富士山の豊富な副流水を利用して栽培されています。

コシヒカリは昭和48年に導入され、倒さず、安定的に収量を確保する栽培技術が確立されてから面積が増加し、現在、県下一の産地になっています。


平成16年からは食味・品質向上の取組が始まり、17年にはユビキタス事業を活用してマッピングシステムが整備され、栽培技術の一層の向上が図られています。

「お米日本一コンテストinしずおか」で平成16年から6年連続で静岡県知事賞を受賞するなど、おいしいお米であることの認知度は高まり、ブランド化が進んでいます。
(ふじのくにより)


安心・安全の米が一番だろう!
ごてんばこしひかりの1年

こりゃいい景色だ!
ダイヤモンド富士


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遊就館所蔵の古代から近代に至るまでの刀剣・甲冑・変わり兜・馬具等この中から厳選された約100点が展示されます。
火縄銃を撃つのが好きなんて人は、興味があるのではないでしょうか?

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遊就館所蔵 名作「刀剣・甲冑展」開催のお知らせ

【期間】
11月12日(土)〜12月11日(日)

【開館時間】
午前9時〜午後4時30分
※入室は閉館の10分前まで
※電力不足への対応等により、開館・閉館時間を変更させて戴く場合がございますので、あらかじめご了承ください

【場所】
遊就館1階企画展示室

【拝観料】
無料

【関連行事】
・甲冑製作実技公開  11月12日(土) 午前10時〜午後3時
               実技者 甲冑製作者 豊田勝彦 氏 

・刀剣研磨実技公開  11月19日(土) 午前10時〜午後3時
               実技者 研師 藤代興里 氏
               実技者 研師 藤代龍哉 氏

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甲冑製作実技を見たかったが、町会の旅行で行けません・・・残念!
たまには本物見るのもいいじゃないでしょうか。


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11月3日は明治神宮の御祭神、明治天皇のお誕生日であり、祭礼が行われました。
祭典日に限らず、10月下旬から境内各所では、これを奉祝して伝統芸能や全国各地の特産品が奉納されました。
3日は奉祝行事として、武道場至誠館・西参道沿芝地等で、弓道大会・合気道演武・古武道大会・百々手式・流鏑馬が行われるので、用事がなければ必ず見に行きます。
午前9時〜午後5時頃まで、行われるので一日楽しめますが興味のない人には苦痛でしょうね

まずは参拝。

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七五三の方も沢山いました。
懐かしい・・・・。

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実にいい天気でした。

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東京都農業祭も行われていて、沢山の店が出店していて、武道が興味がない人はこちらはいかがでしょうか?
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お見事!後日宝分けされます。
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上記「宝船」に関する説明文です。
(クリックすると大きくなります)










他会場の様子です。
(クリックすると大きくなります)

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この会場で、一番人気はつきたての餅です。
凄い行列で、いつも断念。
写真、上2列の右側。

それでは、この会場を後にし、奉納演武へ行きましょう。

●合気道会場(クリックで拡大)
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●古武道会場(クリックで拡大)
それにしてもいろんな流派があるもんです。
その中の一部です。
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●武田流弓馬道(流鏑馬)
入門したい方は、社団法人大日本弓馬会HPをご覧ください。

(クリックで拡大)
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一番最後は、森重流砲術による演武で終了します。
この演武に、我が鉄砲組百人隊の鉄砲指導方のIさんも参加しています。
森重流砲術の皆さんです。
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一部動画あります 



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井伊家と将軍家との絆伝え 彦根城博物館で特別展(京都新聞)

徳川将軍家と譜代大名筆頭の彦根藩・井伊家のつながりをひもとく特別展「武門の絆」が、彦根城博物館(滋賀県彦根市)で開かれている。徳川家の所蔵品を含めた武具や大名道具など101件を通じ、徳川四天王や幕閣として江戸幕府の中枢をなした井伊家の武門の風格を伝える。


彦根城博物館が開館25周年を記念し、文化庁とともに主催する。重要文化財が35件を占め、館蔵品に加え、徳川美術館(名古屋市)や日光東照宮(栃木県日光市)の所蔵品も並べている。

徳川家康が関ケ原の合戦(1600年)で着用した「歯朶具足(しだぐそく)」は、江戸城で正月の祝い事の際に飾られた吉祥の武具。当主4人が家臣最高職の大老に就いた井伊家は、具足祝いの鏡開きで、将軍とともに最初に餅入りの御膳を食したという。

館蔵品「井伊家歴代相伝品目録」は、当主が受け継いだ重宝品のリスト。いずれも現存していない唐(とう)の頭(かしら)、軍配、団扇(うちわ)の3品が書き記されており、徳川家の精鋭部隊「井伊の赤備(あかぞな)え」の大将を象徴する家宝として代々伝えたという。

また、関連行事として、学芸員によるギャラリートークを5日に、徳川宗家18代当主の川恒孝(つねなり)氏の講演会「徳川将軍家の伝統を継承して」(先着60人、事前申し込みが必要)を12日に催す。いずれも午後2時からで、有料。特別展は27日まで。会期中無休。

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どっかで見た鎧だねぇ〜


コピー (2) 〜 txt136

近くにたまたまいた人はどうぞ!

詳細は、彦根城博物館HPをご覧ください。






ひこにゃん凄い人気だなぁ。
しかし、どっかで見た兜だなぁ〜・・・思いだせないなぁ〜


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日本全国色々な祭りがあるもんですな。
日本の2000年以上の歴史の重みを感じますね。

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馬と隊列、火縄銃の響き 長久手で「上郷の警固祭り」(中日新聞)
2011.10.10

火縄銃のごう音が響く「上郷の警固祭り」(保存会主催、町無形民俗文化財)が9日、長久手町東部の上郷地区であった。飾り立てた馬を守り歩く隊列が、計2500発の空砲を発射しながら旧村落の氏神などを回った。

警固祭りは戦国時代に始まったとされ、尾張と西三河の農村部に残る。長久手町は長湫と岩作、上郷の3地区がそれぞれ違った様式を伝えている。

この日は同町前熊、熊張の旧村落ごとにまとまっている三隊が合流して北熊神明社、前熊多度社、大草熊野社などを巡回。馬の早駆けを披露したり、棒の手と呼ばれる棒を使った演舞を奉納した。農業交流施設「あぐりん村」でも火縄銃を発砲、買い物客らの注目を集めた。 (原田晋也)

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この動画がそうですかね?




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興味のある方はどうぞ!

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サムライ勇壮 きょうから 神宮前で戦国浮世絵展(東京新聞)

江戸城や侍たちの戦いぶりを描いた浮世絵を展示する「浮世絵戦国絵巻−城と武将」が一日から、渋谷区神宮前の太田記念美術館で開かれる。
葛飾北斎などの浮世絵師が、大名行列や大砲での城の攻略の様子などを、生き生きとしたタッチで描いている。

大手保険会社の経営者だった太田清蔵氏が収集した浮世絵約一万二千点をコレクションとする同館の特別展。

江戸時代、幕府の政策で、徳川家康が豊臣秀吉の家来だった戦国時代を描くことは禁じられていた。このため浮世絵師は、織田信長が暗殺された本能寺の変を、源平の合戦に置き換えるなどしたという。

展覧会は、こうした浮世絵の特殊事情を解説しながら、秀吉の姫路城築城の様子や、戦国武将の名前を仮名にしながら描かれた関ケ原の合戦などを紹介している。正月に将軍に面会するため駆けつけた大名たちの様子を描いた「旧正月元旦諸候初登城図」など、早春の華やかな江戸の雰囲気が漂う作品もある。

特別展は前期が二十六日まで、後期が十一月一日から二十七日まで開かれ計百七十一点が展示される。入場料は一般千円、大学高校生七百円、中学生以下無料。 (蒲敏哉)

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00074540天下統一をかけて争った戦国の武将たち。その波乱の人生は多くの人々を魅了し続けています。

また彼らが各地に築いた城の数々は、幾多の攻防の舞台となり、戦国の名残を今に伝えます。近年、ドラマや映画、小説、あるいはコミックなどの影響で、若い世代の女性も含め、戦国武将や各地の名城への人気が高まっています。

江戸や明治の人たちにとっても、幾多の英雄が活躍した戦国時代への憧れは強かったと見え、戦国武将の肖像や合戦、各地の名城を描いた浮世絵が数多く残されています。
本展は、浮世絵に描かれた名城や戦国の武将たちに焦点を当てる展覧会です



●浮世絵戦国絵巻〜城と武将

期間:
【前期】群雄割拠の時代〜本能寺の変 平成23年10月1日〜10月26日
【後期】天下統一〜戦国時代の終焉   平成23年11月1日〜11月27日

会場: 太田記念美術館


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彦根城

●10日から彦根城で開催

彦根城(彦根市)の天秤櫓(てんびんやぐら)で10日から、関ヶ原の戦い(1600年)に参戦した武将が着用した甲冑(かっちゅう)の模造品を展示する特別展(同市主催)が開かれる。11月6日まで。

東軍の徳川家康、西軍の石田三成を中心とする両軍を対峙(たいじ)させる形で、鹿児島県の甲冑製造会社が手がけた模造品19点を並べる。勇猛さで知られた東軍・井伊直政の朱色の「赤備え」や西軍・直江兼続の「愛」の文字の兜(かぶと)の前立てなど、武将の個性がわかる展示という。

同市観光振興課は「武将の魂ともいわれる甲冑を観賞してもらい、天下分け目の戦いの空気を感じてほしい」としている。

開館は午前8時半〜午後5時。会期中無休。彦根城の観覧料(大人600円、小、中学生200円)が必要。

問い合わせは同課(0749・22・1411)。

2011年9月3日  読売新聞)

彦根城の歴史


そいえば全国古式砲術鉄砲サミットin彦根に参加したよな・・・俺は行ってないけどね


彦根


風が強かったみたいですね。




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昭和49年に放送された浜松と家康の深いつながりを再度見つめ直す番組だそうです。
ナレーションが昔っぽくて、なんか落ち着いた感じがします。
管理人の個人的な意見ですが、最近の番組はつまらなくてくだらないのが多いですな





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人生に大切なことは、

五文字で言えば「上を見るな」。

七文字で言えば「身のほどを知れ」。



大事を成し遂げようとする者は、

本筋以外のことはすべて荒立てず、

なるべく穏便にすますようにせよ。



滅びる原因は、

自らの内にある。



いくら考えても、

どうにもならぬときは、

四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。



重荷が人をつくる。

身軽足軽では人は出来ぬ。



人の一生は重きを負うて遠き道を行くがごとし。

急ぐべからず。

不自由を常と思えば、不足なく心に望み、

おこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。



勝つ事ばかりを知って、負くる事を知らざれば、

害その身に至る。

己を責めて、人を責むるな。

及ばざるは、過ぎたるより優れり。



最も多くの人間を喜ばせたものが、

最も大きく栄える。



誠らしき嘘はつくも、

嘘らしき真を語るべからず。



決断は、実のところそんなに難しいことではない。

難しいのはその前の熟慮である。



世におそろしいのは、

勇者ではなく、臆病者だ。



あぶない所へ来ると、馬から降りて歩く。

これが秘伝である。



愚かなことをいう者があっても、しまいまで聴いてやらねばならない。

でなければ、聴くに値することを言う者が遠慮するからだ。


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昔の人の言葉は重いですなぁ〜・・・今の指導者の言葉は羽毛より軽いんじゃないの・・・

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相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財の「相馬野馬追」が23日から始まり25日に閉幕しました。
今年は福島第1原発事故の影響で規模を大幅に縮小し、メーン行事の「甲冑(かっちゅう)競馬」などが中止になりましたが、震災犠牲者への鎮魂の思いを込め、約80人の騎馬武者が市街地を練り歩きました。
10世紀に関東で反乱を起こした平将門の軍事演習が由来とされ、1000年以上の歴史を持ち、将門の子孫と称する相馬氏が鎌倉時代にこの地の領主となり、続けられてきました。

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「鎮魂と復興」伝える相馬野馬追始まる(産経ニュース)
2011.7.23 21:54

国の重要無形民俗文化財で、福島県相馬地方に1千年以上にわたって伝わる「相馬野馬追」が23日、始まった。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で規模を大幅に縮小して開催、復興と犠牲者への鎮魂を旗印に25日まで開かれる。


 今年の野馬追は、騎馬武者となる人や馬が被災したため、騎馬数も例年の6分の1の約80騎にとどまる。

 南相馬市の団体職員、菅野長八さん(59)は「総大将お迎え」の儀式に馬をそろえた。腰の巾着袋には家族5人で撮った古い記念写真をビニールでくるみ、入れた。がれきの中から見つけた思い出の写真。あの日の津波で妻と長女を失い、母と長男はいまだ行方不明のままだ。


 「供養のためにも出陣を決めた」。親族の助けで馬や武具を調達し、力強く手綱を握った。「家族のためにも見物人になることはできなかった。『何やってんだ』で怒られちゃうから」。去年と同じ晴れ姿だ。「どこかで見ていてくれている」


 例年、参加者と観客を熱くさせた甲冑競馬、神旗争奪戦などの主要行事は、会場が「緊急時避難準備地区」に指定されたことなどで中止となった。


 その一方で、開催が危ぶまれた今年の野馬追にも、多くの若武者が初陣を飾った。高校1年、横山美咲さん(15)は「福島の復興のためにも、被災者の方々の慰霊にも騎馬になりたかった」と堂々と武者にふんした。小雨が降る被災地を、鎮魂と復興への願いを伝えるホラ貝の音がなぐさめた。(是永桂一)

写真はこちらへ

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相馬野馬追閉幕 復活願い、神馬奉納(河北新報社)

国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は最終日の25日、福島県南相馬市原町区の多珂神社で、馬を神前に奉納する神事「上げ野馬」を行った。御小人(おこびと)と呼ばれる白装束の男衆が3頭の馬を神社の境内に誘導し、1頭を神馬として神前にささげた。

 野馬追最終日は毎年、同市小高区の相馬小高神社で、裸馬を境内に追い込んで素手で捕らえる「野馬懸」を行う。ことしは福島第1原発事故で小高区が警戒区域になり立ち入り禁止となったため、同神社と同じ宮司が管理する多珂神社に会場を変更。神馬奉納だけを行うことにした。

 後継者不足のため、この数年は県外の馬産地に派遣を依頼していた御小人は今回、地元の騎馬会が担当。避難先の二本松市から参加した山本幸一郎さん(43)=浪江町=は「貴重な経験だったが、やはり来年は騎馬武者として参加したい」と話していた。

 ことしの野馬追は、震災犠牲者を追悼する「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」として開催。メーン会場の雲雀ケ原祭場地(南相馬市原町区)が緊急時避難準備区域にあることから、神旗争奪戦などの行事を中止した。

2011年07月26日火曜日

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日本の歴史が2000年以上で、その半分近い1000年以上の歴史があるとは凄いことです。
途切れな続くすばらしい歴史を持つ日本は、この国難を必ず乗り切れることができます。
一日も早い復興を国民一致団結して成し遂げましょう!


がんばろう、日本!
がんばろう、東北!


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国の重要文化財に指定されている「家康の洋時計」の音を、街頭に設置するからくり時計に取り入れて再現する構想があるそうです。

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「家康の洋時計」街中に音色響け 静岡、有志の会発足(静岡新聞)

久能山東照宮(静岡市駿河区)所蔵の「徳川家康の洋時計」の音色を市の中心街に響かせ、後世に伝えることを目指す市民有志の会「駿府静岡からくり時計実現会議」が同市に発足し、活動を本格化させている。街頭にからくり時計を設置してまちのシンボルとするプロジェクトを掲げ、広く賛同者を募っている。

 家康の洋時計は、1611年にスペイン国王から献上された現存する国内最古のゼンマイ式機械時計。国の重要文化財に指定されている。プロジェクトは高く澄んだこの洋時計の音を、街頭に設置するからくり時計に取り入れて再現する構想。

 地域の歴史を象徴する時計の音にほれ込んだ歴史ファンやまちづくりに関心のある市民が、昨年秋に準備会を作り、勉強会を重ねてきた。6月初旬に市内で開いた「実現会議」の発足式で、発起人代表の元衆院議員上川陽子さんは「400年前の時計が残る幸運を捉え、新しいまちおこしのシンボルを作りたい」と力を込めた。
 会の発足に合わせ、ホームページも開設。洋時計の音色を実際に聞かせるほか、発起人の一人の郷土史家黒沢修さんによる駿府城下町の歴史解説ビデオなども紹介している。

 今後は勉強会の継続に加え、全国のからくり時計の視察や、城下町駿府の“音”をテーマにしたCD製作なども予定。事務局長の伊藤彰さんは「市民が地域の豊かな歴史を見直す機会にもなれば」と期待する。久能山東照宮の落合偉洲宮司も「洋時計は世界的にも価値の高い、地域の宝。さまざまな形で家康公の御神徳が伝わるのはうれしいこと」と歓迎している。



家康の洋時計
【徳川家康の洋時計】

房総沖で難破したスペイン船の生存者を無事帰国させたお礼として、1611年、スペイン国王フェリペ3世から駿府城にいた家康の元に届けられた。御用時計師ハンス・デ・エバロが1581年に製作したと伝わる。家康の死後、久能山東照宮に奉納された。

徳川家康の洋時計(久能山東照宮博物館所蔵)






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みなさんご存知の方が多いと思いますが、占いタレントの島田秀平さんが、テレビで紹介して以来パワースポットとして有名な明治神宮にある清正井(きよまさのいど)です。

明治神宮


【清正井】

明治神宮の御苑の中に都会では珍しい湧水の井戸があります。東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があり、昔から「清正井(きよまさのいど)」といわれ加藤清正が自ら掘ったとされています。では本当に加藤清正が作ったのでしょうか?素朴な質問ですが、これについてお話しましょう。
続きはこちらへ


パワー感じられましたか!?





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いよいよ本日より37年ぶりに電力使用制限令が発動されますなぁ〜。
東電のホームページで「でんき予報」を公表し電気需要データなどの見通しを毎日午後6時に掲載するそうです。
何だか毎日悪い話題ばかりで疲れますが、こんなの見て落ち着きましょか





管理人は日本の景色が一番好きです。
日本にはたくさんの伝統文化があり素晴らしいと思う。
伝統文化は先人から受け継ぎ、悪しきところあれば改め、なければそのままの状態で次世代に手渡すのが、その時代に担当するものの義務だと思います。
自分の時代だから何をしてもいいものではありません。
何が言いたいかは・・・・・それは・・・・・。


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「守」とは、教えを正しく守って背かず、それをしっかりと身につけることを云う。

「破」とは、改めるべきを改め、他の長所をとり入れるを云う。

「離」とは、それらの段階を通過し、独自の境地を見出すを云う。


ちょっと大袈裟かも知れませんが、何回も出陣している皆さん!
毎回「守」から始めるのはやめましょう!




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歴史とは実に大切なものです。
正しい歴史事実の中に、真実や疑問、悩みの答えがあるのでしょうね・・・。



動画説明】

「稲むらの火」とは? 実在モデルがいた!
●江戸末期の安政元年、紀伊半島を襲った大地震と大津波の際に、機転を利かせた英断により、村人の命を救った庄屋・五兵衛の物語「稲むらの火」。五兵衛のことは、小泉八雲­(ラフカディオ・ハーン)が紹介したことで、広く知られるようにより、戦前の小学校国語教科書にも掲載されていました。
●そのモデルとなったのは濱口梧陵でした。幕末から明治にかけ、激動の時代を生き、勝海舟も一目置きましたが、その人物像について、あまり知られていません。
●平成17年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議で、小泉純一郎総理大臣(当時)は、シンガポールのリー・シェンロン首相­から「稲むらの火」について尋ねられたものの、総理はこの話を知らず、答えられなかったそうです。
濱口梧陵とは、一体どんな人物だったのでしょうか。


「稲むらの火」題材 安政地震(朝日新聞)

『千年震災 繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』(産経ニュース)


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16代仁徳天皇「民のかまど」という話しを知ってますか??
日本人が世界に誇れる素晴らし話なので掲載します。

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「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」

 


(通釈)
仁徳天皇が、高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思う。

仁徳天皇は即位されて4年目、高台にのぼって見渡されました。
すると家々から炊事の煙が立上っておらず
国民は貧しい生活をしているのだと気づかれました。
そこで3年間年貢などを免除されました。
そのため天皇の着物や履物は破れてもそのままにし、
宮殿が荒れ果ててもそのままにしていました。


そうして3年、気候も順調で国民は豊かになり、
高台に立つと炊事の煙があちこちに上がっているのが見えました。
国民の生活は見違えるように豊かになりました。
それを見て天皇は喜ばれ
「自分は、すでに富んだ」と言われました。


それを耳にされた皇后は
「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りもしているのに、
どうして富んだといわれるのですか」と問われました。
すると天皇は
「昔の聖王は国民の一人でも飢え寒がる者があるときは自分を顧みて自分を責めた。
今、国民が貧しいのは自分も貧しいのだ。
国民が富んでいるのは自分も富んでいるのだ。
未だかつて人民が富んで、君主が貧しいということはあるまい」と答えられました。


やがて天皇に感謝した人々が諸国から天皇にお願いしました。
「3年も課役を免除されたために、宮殿はすっかり朽ち壊れています。
それに較べて国民は豊かになりました。
もう税金をとりたてていただきたいのです。
宮殿も修理させてください。
そうしなければ罰があたります」


それでも天皇はまだ我慢してお許しにならなりませんでした。
3年後にやっと許されると、国民はまず新しい宮殿づくりから始めました。
人々は命令もされないのに、
老人を助け、子供を連れて、材料運びに精出し、
昼夜兼行で競争して宮殿づくりに励みました。
そのためまたたく間に宮殿ができあがりました。
それ以来天皇を「聖帝(ひじりのみかど)」とあがめるようになりました。


日本の天皇は、初代の神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んでいます。
国民は奴隷として搾取する対象ではなく、
宝として大切にするという姿勢です。
仁徳天皇は、その姿勢で政治を行い、困窮者を救い、病者を慰問し、
孤児や寡婦を扶助したと「日本書紀」にも書かれています。


このように天皇は国民を慈しみ、国民は天皇を敬愛して、
天皇と国民が家族的な感情で結ばれた状態を理想としてきました。
それは他の国々には見られない日本独自の伝統です。
そして皇室が古代から今日まで絶えることなく続いてきました。

(仁徳天皇稜)
仁徳天皇稜


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3月16日(水)午後に、天皇陛下が国民に対して、ビデオメッセージを発せられたことはご存知だと思いますが、見そこなった方は是非ご覧下ください。



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百人番所

皇居東御苑の中にある百人番所です。
まさか鉄砲隊で同心に参加した方で見学に行ったことない人はいないですよね??

中はかなり広くて綺麗なので行くと落ち着きますよ。

百人番所 案内


天守台
 天守台です。

天守台 上
天守台より。

天守台 案内

東京駅から皇居東御苑へ 
(East Gardens of the Imperial Palace from Tokyo Station)


江戸城史跡めぐり

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●皇居東御苑

皇居東御苑は,次に掲げる日を除き公開しています。入園は無料です。

(1)月曜日・金曜日
   ただし,天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」は公開します。 
   なお,月曜日が休日で公開する場合には,火曜日を休園します。

(2)12月28日から翌年1月3日まで

(3)行事の実施,その他やむを得ない理由のため支障のある日

【公開時間】
 
3月1日〜4月14日  午前9時〜午後4時30分(入園は午後4時まで)
4月15日〜8月末日  午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
9月1日〜10月末日  午前9時〜午後4時30分(入園は午後4時まで)
11月1日〜2月末日  午前9時〜午後4時(入園は午後3時30分まで)

※出入りは,大手門・平川門・北桔橋門です。
(入園の際,各窓口で入園票を発行しています。退園の際はお返しください。)

宮内庁HPより

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何やらネットサーフィンしていたら、ねずきちのひとりごとさんというブログで日本刀と鉄砲伝来という記事が面白かったので転載しときます。
興味がある方は読んで下さい。

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20100125205838541

「日本刀(Japanese Sword)」という呼称は、実は、海外製の日本語です。

もともと日本では、刀(かたな)か剣(つるぎ)と呼んでいました。
ですから、刀鍛冶(かたなかじ)はいるけれど、日本刀鍛冶(にほんとうかじ)はいません。

「日本刀」という呼称が最初に用いられたのは、北宋の詩人、欧陽修(おうようしゅう 1007年〜1072年)の「日本刀歌」です。

この歌は、宋では焼かれ、散逸してしまった書物が、日本にはいまだに存在しているのは嘆かわしいことだ、という主題の漢詩です。
その詩の中に、支那の商人が宝刀と呼ばれる日本の刀を、日本まで買い付けに行くことが歌われている。

支那の北宋の時代といえば、日本では平安時代です。
そんな時代にも、日本刀は、高い評価を得ていました。

時代が下って、幕末から明治になると、日本画とともに日本刀が西洋に数多く流出します。

日本刀の「吸い込まれるような」切れ味というものは、世界中、どこにもない鋭いもので、これが西洋で大評判になります。

で、日本画が西洋の絵画と区別して「日本画」と呼ばれるようになったことに呼応して、日本刀も、「日本刀」と呼ばれるようになったのだそうです。

おもしろいことには、日本刀は西洋でしきりに研究され、その成分分析や、切れ味の分析が事細かに行われるのですが、結果として西洋人が、日本刀を作ることはありませんでした。

理由は、「鍛えて焼きを入れることができなかった」のです。

工芸品や技術品は「マネをしたらできる」ほど甘いものではありません。
さりげない部品のひとつ、鉄の鍛え方ひとつをとっても、長い年月をかけた創意工夫あります。

トヨタが最新鋭の工場設備を支那に作ったけれど、支那トヨタで作ったエンジンは、トラブル続出になっている。
機械を使ったらできる。ロボットを使えばできる、教えたら簡単にできる、そんな甘いものではないのです。

鉄を溶かすためには、1800度の高熱が必要です。
西洋では、コークスを使って鉄を溶かし、鋳型に流し込んで刀を作ります。

しかし日本の燃料は木炭です。これは最高でも1200度にしかならない。
ですから、鉄は完全には溶けません。
完全には溶けないから、鉄をたたくことによって均質にし、さらに刃の部分に焼きを入れて、そこだけ硬さを増して、薄く研いだときによく切れるようにしているのです。

これはたいへんに手間のかかる作業です。
加えて、叩きにものすごい技術がいる。ただやみくもに叩けば刀になるというものではないのです。
このたたきによって、鉄の重さがどれくらいになるかというと、なんと、3分の1です。

鉄の中の不純物を減らすため、刀鍛冶は、全体の重量が3分の1になるまで槌(つち)で刀身を叩くのです。

そして刃の部分以外に粘土を塗って火の中で焼きます。
真っ赤に焼けた刀身を、水につけます。

すると粘土のない刃の部分は硬くなり、粘土に包まれた刀全身は柔軟性のある柔らかさを持つようになります。

さて1543年、ポルトガル人を乗せた貿易船が種子島(鹿児島県)に流れ着きました。
鉄砲伝来です。

当時16歳だった島主・種子島時尭は、2丁の鉄砲を買いました。購入金額は、いまの相場に換算すると約1億円だそうです。つまり、鉄砲1丁を5000万円で買った。

なぜ2丁買ったかというと、1丁は鉄砲として使うために、もう1丁は研究するためです。

種子島時尭は、家来に命じて鉄砲作りを徹底的に研究させ、翌年には、国産の鉄砲を作ってしまいます。

ポルトガル人にしてみると、鉄砲1丁が5千万円です。
これは大儲けできる。そう思って、彼らは1億円相当の銀を得て、ポルトガルに帰ります。
そして翌年には、船に鉄砲を山盛りにして再び日本にやってきた。

鉄砲のない日本に鉄砲を売れば、大もうけできると、踏んだのです。
ところがこの鉄砲は、まるで売れなかった。

なんと日本では、その頃には、すでに改良を施した高性能の鉄砲を量産化していたのです。

同じ16世紀、南アメリカのインカ帝国にもスペイン人が鉄砲を持ってやってきました。
そして、スペイン人にやられ、数年足らずのうちにインカ帝国は滅亡し、文明の痕跡しか残っていません。

ちなみにインカは、黄金文明だったといわれています。
ものすごく金が豊富だった。いわば金ピカ文明です。

人類が誕生してから、現在にいたるまで、人類が採掘した金は、25Mプールに換算すると、ちょうど3杯分になるのだそうです。

ところが、そのうちの2杯分は、実は日本で産出している。
いまの日本は「金」がありませんが、これは明治のはじめに日本の金が銀と交換されて海外に大量に流出したせいです。

ですから言い換えると、インカ以上に金の豊富な日本は、16世紀、まさに黄金の国ジパングだった。

ところが、インカは滅亡し、日本は生き残っています。

インカはたった150人のスペイン人の銃によって滅ぼされました。

日本は、 たった2丁の鉄砲から、翌年には国産第1号の鉄砲を完成させ、翌年の後には、世界有数の改良型の高性能鉄砲保有国になってしまっていたのです。

こんなことが起こったのは、当時の世界で、日本だけです。

なぜ、そんなことができたのか。
実はそれは、日本は古くから、日本刀を製造する高度な鉄の加工技術があったからです。
当時の刀鍛冶たちは、刀を大量生産するシステムをすでに作り上げていました。
その技術集団が、こんどは鉄砲作りに取り組んだのです。


鉄砲伝来から32年後に、長篠の合戦(1575年)が行われます。武田軍と織田軍が相対した。
このとき、武田軍、織田軍とも、それぞれ武田の旗、織田の旗のほかに、両軍とも日の丸を掲げています。我こそは日本を代表する武家である、という印です。

この長篠の戦では、織田軍は、3000丁もの鉄砲を揃え、三列交代式鉄砲連射というヨーロッパですら使われたことのない戦術を用いています。

当時の鉄砲は1発撃つごとに、銃口から火薬と弾を詰め込みます。薬きょうに弾を込めて、後ろから叩くという銃弾が登場するのは、これよりもずっと後の時代です。

銃口から弾を込めるということは、最初の弾を1発を撃ったら、2発目を撃つ頃には敵の騎馬隊が到着してしまう。

そこで信長は、鉄砲隊の前に柵を作り、騎馬隊がすぐに突入できないようにしておいて、3000丁の鉄砲を3列に分けて配置した。
そして1発目を撃つと、すぐに引き下がって2列目のものが撃つ。同様に3列目のものが撃つとことによって、間をあけずに鉄砲を連射します。

信長のこの三列交代式鉄砲連射の戦法は、世界初の戦法です、
銃の本場である西洋で、この戦法が使われ出したのは、なんと1917年、第1次世界大戦の終わり頃です。なんと、信長の鉄砲隊の342年も後のことです。

さらに関ヶ原の戦い(1600年)では、なんと5万丁の鉄砲が火を噴きます。
この頃の日本は、すでに世界最大の鉄砲生産国になっていたのです。

関ヶ原当時、日本の所有する鉄砲の数は、世界中の鉄砲の数の何%をしめていたかというと、これがなんと、世界全体の5割です。

鉄砲が日本に伝わってから約60年後には、日本は世界最大の鉄砲保有国になっていたのです。

日本の技術力の高さは、今に始まったことではありません。
300年も400年も昔から、変わらず、世界一流の技術力を持ち続けているのです。
それこそが、日本の底力です。

もうひとつ付け加えます。
日本は戦国時代、それだけ大量な鉄砲や刀剣類を作っていながら、当時、それらを作るために大量の森林資源を伐採していながら、禿山(はげやま)を作っていません。

火力を得るために森林の伐採をしているのですが、同時に植林をしている。
なぜなら植林をしないと、崖くずれや洪水が起こるからです。

戦国大名たちは、そういう土木林業の育成も同時に行っています。

もちろん、日本が高温多湿であり、森林が育ちやすいという環境にあったことも事実ですが、欧米や朝鮮半島、支那等では、食事の火を得るために木を伐採し、土地の砂漠化を招いたり、禿山を作ったりしていることと比べると、なにやら天地の差があるように思えます。

当時、戦国大名の間で流行ったのが、茶道です。
茶道は、緑の中に草庵を営み、そこで、正装して、威儀を正して、酒も飲まずに、苦いお茶をすすります。

安い抹茶は、ただ苦いだけですが、高級な緑茶、これはいちど飲んだらわかりますが、まさに新緑の香り、濃厚な緑の香りがします。

つまり緑の中で草庵を営み、その中で緑(自然)への感謝の意をもって濃厚な緑のお茶をいただく。自然への感謝をする。武器を得るために伐採した森林への感謝を捧げる。
だから、正装して、威儀をただしてお茶をいただいた。
だから、茶道は礼儀の道、自然との一体の道となったといわれています。


日本刀の刀鍛冶の技術、世界最大の鉄砲保有、緑への感謝、そういったものが渾然一体となって日本の文化を築いている。

やっぱり、日本て、いいですね♪

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以上です。
どうでしたか?

ついでに動画を・・・・・。



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和を以って貴しとなす」というのは、日本人に最も広く知られた言葉の一つで、「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」といった意味で理解している人や教わった人が多いと思います。
しかし、そんな浅い考えではないようだ。

十七条憲法


「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」という意味だけならここまで言葉は残らないだろうし、これが真意なら事なかれ主義が一番であると教えているようなものだ。

まぁ・・学校でも教えるならもう少し正しく教えてもらいたいものだ・・・・・
今この言葉が必要な団体はたくさんあるのではないかなぁ・・・・・
もちろん・・・我がてっ・・・もね・・・・。

独り言でした。

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