江戸幕府 鉄砲組百人隊

江戸時代に現存した徳川鉄砲隊や鉄砲保存会及び鉄砲地域の紹介

カテゴリ: 火縄銃に関して

網タイツ好きの鉄砲隊会員が某所に、元火縄銃の「雷銃」を見に行き、そのレポートが送られてきたので、そのまま掲載いたします。
他にもプラモ好きのオタク、電車系秘書好き会員も行ったそうです。
それも・・・連休15日の猛暑の中・・・男3人で行ったとは・・・・余計に暑苦しいと言うか・・・むさ苦しいと言うか・・・ねぇ〜・・・

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雷銃


これは、火縄銃ではありませんよ!
 
正確には元火縄銃です。
「雷 銃」 と言うのが正式な名称で
ネットで調べても、まずヒットしない珍品です。
 
火縄銃は名の通り火縄の火が起爆剤。
 
それに対して、「雷 銃」 は通常に玉込めを完了し、
口薬の上に雷管(カンシャク玉の様に衝撃で発火)
を装填し火鋏を改造したハンマーで衝撃を与え
発射する仕組みです。
 
元火鋏(ハンマー)と火蓋の間にある妙な物は
間違えてハンマーが落ちた時の安全装置です。
 
だから、与力も 「火蓋切れ〜 放て〜〜」 じゃ
撃てないよ。 メンドクセェ〜だろww〜
 
同心も 「火縄付け〜〜」 と言われても
困るよね。 挿めないから。
 
ここから先は推測になりますが、
徳川方が薩長の英国製の新銃を
手本に火縄銃を改良したが、
大政奉還に至り,
あっと言う間に、闇にと消えていった
「幻の銃」 なのでは?
 
某日・某所で出会い感激!


ーーーーーーーーーーーーーーー以上レポート終わり


読んでしまったら癒して帰りましょう!







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江戸幕府 鉄砲組百人隊の行列で、かつがれている火縄銃ですが、火縄銃も細かな部分がそれぞれ違ったものがあります。

戦国時代、天文12年(1543年)頃に、種子島に伝えられた火縄銃は、日本各地で作られ始めました。中でも、近江国国友村(現在は、滋賀県長浜市)、和泉国堺(現在は、大阪府堺市)は江戸時代をつうじて火縄銃が作られたところとして有名です。

それでは、火縄銃にはどのような種類があったのでしょうか。

火縄銃部分名称図

 

 

 

 

国友系

江戸時代に最大の鉄砲製造地として知られる国友村で、その系列の職人たちが製作した鉄砲をいいます。

銃口の先が八角になっており、銃口の部分を太くした柑子(こうじ)がないものが多かったようです。堺系と比べるとかざりが少ないのが特徴です。近江国日野(現在は、滋賀県蒲生郡日野町)で作られたものには、銃の台にぼたんの花や波に千鳥の飾りをはじめ、こった飾りがついていました。

堺系

堺の鉄砲は銃の台にきれいな飾りがついていたり、銃身に金や銀等をはめこんだ、象嵌(ぞうがん)があるものが多く見られます。これは、堺系の鉄砲が店頭で売られており、外観に気をくばっていたからだと言われています。

銃身は角筒(かくづつ)がほとんどで、照準をあわせる元目当(もとめあて)が富士山の形をしていました。また、柑子(こうじ)があり、銃の台をしめる胴金(どうがね)は幅が広く、他の金具と同じように彫刻が彫られていました。

滋賀県に、国友鉄砲の里資料館があります。

   国友鉄砲の里資料館HPへ

火縄銃の構造火縄銃の構造です。(古式砲術流儀保存会研究会 八田 一 作図)

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天文12年(1543)8月25日、一隻の明国船が台風の影響により、「種子島」南端の門倉岬に漂着した。この船は、五島列島福江島を拠点に東シナ海沿岸を舞台に蜜貿易をしていた、中国出身の倭寇の大頭目「王直」(五峯ともいう)のもつ船であった。この船には3人のポルトガル商人が乗っており、彼らが手にする長い筒が「鉄砲」(火縄銃)であった。

この鉄砲に大きな関心を抱いたのが島の領主、当時16才の第14代「種子島時堯(ときたか)」。秋、正に群雄割拠の戦国時代真っ只中にあり、時堯はさっそく刀鍛冶八板金兵衛清定に命じ製作に着手。幾多の困難と研究の末、翌年には国産第1号が完成し、数十挺の模作に成功した。この技術は、泉州堺の商人・橘屋又三郎、紀州根来寺の杉の坊明算へと伝わり、全国に伝播することになった。

いち早く鉄砲の戦略的価値に注目していた織田信長は、天正3年5月「長篠の合戦」に数千挺の鉄砲隊を編成、当時最強を誇る武田騎馬軍団を撃破し圧倒的勝利を得た。この結果、戦国武将の戦術も一変し、鉄砲所持の歩兵集団が主力となるなど兵農分離が進み、一気に戦国に終わりを告げ天下統一へと加速するこになった。

当時、頻繁に日本を訪れた西洋の宣教師が、本国に残した書簡にジパング(日本)には、約30万挺の「鉄砲」が普及しており、容易には戦略が不可能であることが記され、また国内における築城方法も山城から平城へと移り変わり、16才の若者の好奇心が外国勢力を潜在的に抑止するなど、一本の筒「鉄炮」がもたらした様々な社会的現象は、戦国期の歴史の大きな転換点ともなった。      

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