組屋敷大久保百人町の植木は鉄砲百人組が定住後、元来この地に自生していた「つつじ」を宝暦年間(1751〜64)から、任務の傍らに栽培を始めたのが事の起こり。江戸時代中頃には市中で大変有名になり、文化11年(1814)刊行の「遊歴雑記」や「江戸名所図会」の錦絵にも掲載されるほど評判になった。

鉄炮百人組同心の俸給は30俵2人扶持と低く、家計を助けようと各屋敷内で栽培が盛んになった。特に有名なのは、鉄炮同心・飯島武右衛門屋敷。明治末まで隆昌を続けたが、周辺は次第に住宅化され、そのつつじも日比谷公園に移された。

戦後、昔日の思いを偲ぼうと「つつじ保存会」の人たちによって、毎年4月に「つつじ祭」が皆中稲荷神社境内で開催されている。昭和42年には、新宿区「花」としてつつじが名誉ある制定をうけた。