さいたまの国指定史跡 見沼通船堀 江戸時代の水運再現(東京新聞)

さいたま市緑区の国指定史跡「見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)」で二十一日、高低差のある川の間で舟を通すため、閘門(こうもん)を開閉して水位を調節する実演があり、江戸時代の水運の様子が再現された。


見沼通船堀は、八代将軍徳川吉宗の命で一七三一(享保十六)年に完成した東西約一キロの運河。江戸へ通じる芝川と、東西にある二本の見沼代用水路を結んでいる。用水路沿いの村で年貢米を積んだ舟が芝川から江戸へ向かい、帰りの便では肥料や加工品を持ち帰った。明治以降は陸運が盛んになったが、昭和初期まで使われた。


農業用水の見沼代用水路と、水田の排水が流れる芝川の高低差は約三メートル。実演では、芝川側の「一の関」に高さ十八センチの角材を積み重ね、水をせき止めて水位を上げた。上流の利根川の取水制限の影響もあり、水位の上昇は目標の半分の一メートル程度にとどまったが、二人の船頭が小舟をゆったりと動かすと大勢の見物客が歓声を上げていた。 (谷岡聖史)





【動画説明】

見沼通船堀=みぬまつうせんぼり(国指定史跡)
享保16年(1731)に開通した、わが国最古の木造の閘門(こうもん)式運河です。­見沼通船堀は見沼代用水西縁と東縁が最も距離が近づく、八丁堤の北側に造られました。

­両用水の中央を流れる芝川と代用水は3mの水位の差があったので、それぞれ2箇所の関­を設け、水位の調節を行い船を運航しました。
この、通船堀の開通により、水運の範囲が広がり、荒川、隅田川を通り、こ の周辺の村々と江戸が結ばれました。江戸へは、見沼周辺で取れた農作物や、 薪、柿渋、味噌、醤油などを運び、江戸からは肥料や、油、日用品などが、 村々にもたらされました。

しかし、時代の流れの中で、輸送方法は、水上交通から、陸上­交通へと移り、関東大震災以降、通船堀を使うことはなかった と言われています。
芝川の船の運航は行われていましたが、昭和6年、通船許可の終了と­ともに、約200年続いた見沼通船は終わりを告げました。現在、通船堀の整備が終わり­、夏には復原された閘門関を使って通水実験が行われています。 (現地案内板より)



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