江戸幕府 鉄砲組百人隊

江戸時代に現存した徳川鉄砲隊や鉄砲保存会及び鉄砲地域の紹介

新宿区から世界へのメッセージとして開催されます「これぞ 日本の祭り」のオープニングに出陣します。

日本の祭り

開催場所は新宿コマ劇場です。期間は、2007年8月24日〜26日ですが、鉄砲隊は25日と26日の昼の部・夜の部のオープニングに参加します。

鉄砲隊の他にも、日本各地の祭りや伝統芸能や韓国、中国からも伝統芸能団が参加します。

特別出演として日ごとに、24日はコロッケさん、中村翫雀さん・25日は中村美律子さん・26日は水前寺清子さんが出演します。

 

 

 

 

 

お問合せ: 新宿から世界にメッセージ・日本の祭り実行委員会事務局

         株式会社 ICSコンベンションデザイン内

                       03−3219−3583

  追記:出陣完了しました。

鉄砲組百人隊は始め老中支配であったが寛永の改革の後直参の旗本に統合され幕政を預かる若年寄が直接指揮をとり、その後鉄砲奉行の支配となりました。

鉄砲隊マーク

百人隊編成

組頭     一名     三千石

馬上与力  二十騎   八十石

鉄砲同心  百人     三十俵二人扶持

 

扶持は一日玄米五合ずつで現在の年棒60〜70万円に相当しましうが、これでは生活が大変で、同心は内職をせざるを得なかった。これが大久保のつつじ栽培です。

鉄砲隊は、伊賀組・根来組・青山組・大久保組が江戸鉄砲組として編成されました。当地と所縁の深い鉄砲組の組頭は、久世三四郎広正が寛永十二年より万治三年まで勤めておりました。

この間鉄砲組は組屋敷を与えられ、間口が狭く奥行きの長い武家屋敷に定住することになりました。

鉄砲

 

 

 

 

 

 

 

大久保地区鉄砲隊

  • 同心百人屋敷    
  • 15万2千5百74坪
  • 支配与力4人屋敷  
  • 7千4百92坪
  • 支配与力4人棟場  
  • 4千2百70坪
  • 久世三四郎抱屋敷  
  • 1万3千坪
  • 大筒角場         
  • 8千164坪
  • 長光寺         
  • 1千500坪
  • 組鉄砲角場       
  • 6千560坪

 

 

この武家屋敷は、東西の入口に棚門を設け、木戸番を置き江戸を守る拠点としてそのまま一つの砦に造られました。

木戸札によれば

  • 木戸通行の義者明六つ時より暮六つ時迄ただし歩行のものは五つ迄
  • 馬駕籠打堅く無用
  • 喧嘩口論物騒往来いたすべからず
  • くはえきせる火縄等堅く無用歓進物もらい一切はいるべからず
  • 葬礼断りなく通行いたすべからず

                    以上の如く厳重な取締りをしておりました。

火縄銃

 

 

 

 

鉄砲百人組の通常の勤務は江戸城内の三之門の警備を四組の百人組が交代でしていました。したがって月に4回程度(一昼夜勤務)の勤務でありました。このとき詰めたのが百人番所として皇居東御苑に今も残されています。

この他、将軍の寛永寺、増上寺への参詣の警備などがある。

文久二年(1862年)十二月、250年余り続いた百人組は廃止され、新たに講武所奉行の属することになりました。所属は変わっても屋敷はもとのままでした。

 

 

5月20日(日)に東京ヴェルディ1969VS湘南ベルマーレ戦のセレモニーに、「江戸幕府 鉄砲組百人隊」が協賛出陣しました。当日は、天気もよく心地よい風が吹いてて、鎧日和のいい1日でした。

国立競技場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他に、チアリーダーの人が練習をしていました。鉄砲隊の面々はそちらが気になっているようでした。

そりゃそうですよ!むさくるしい鎧軍団より綺麗軍団のがいいですよね!(その後の鉄砲隊打ち上げのときの、すげさんの発言より)

国立競技場2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当日の出陣編成は、大幟・馬印・鉄砲組頭・指揮与力・大目付・鉄砲同心・玉薬方・貝役・先物見・陣太鼓・後物見・黒子の総勢33名でした。

 

火縄銃試射 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後12時5分より10分間で、3発の火縄銃の試射をしました。写真は、「腰放ち」による一斉撃ちです。

 

火縄銃試射2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たち放ち」による一斉撃ちです。このほかに、腰放ちと立ち放ち混合の「2段打ち」をしました。

トラブルもなく、大成功に終わりました。

鉄砲同心参加者ブログ

火縄銃による試射動作はこちらをご覧ください。

用意1東京ヴェルディ1969VS湘南ベルマーレ戦のセレモニーに出陣の為の準備を前日にしまいた。

(写真はクリックすると大きくなります)

 

用意2

鉄砲隊の方々が忙しい中、集合してくれました。

鉄砲同心の装備だけでも16種類はあるので、忘れないように注意しなければなりません。

 

背旗

 

背旗です。風が強い日には、大変です。

 

 

 

 

鉄砲隊ハンテン文化財の旗

鉄砲隊の半纏と鉄砲隊の幟です。

新宿区無形民俗文化財になったときに、知り合いの鉄砲隊の方から寄贈されました。

 

 

 

 

 

火縄銃1火縄銃2

鉄砲隊の命、火縄銃です。

重いのや長さなど様々な種類の火縄銃があります。

 

 

 

 

火縄銃3

火縄銃5

 

 

 

 

 

火縄銃4バサミと火皿、火蓋がみえます。

前の記事に、火縄銃の解説があります。

前回記事はこちら

 

わらじほら貝

ほら貝です。うまく吹くには、かなりの練習しないとだめです。

 

わらじです。

 

 

赤胴玉薬方

玉薬方の備品です。

 

 

 

 

 

 

江戸幕府 鉄砲組百人隊出陣のお知らせ

ひざ台はなち

 

 

 

 

 

 

 

 

5月20日(日)新宿区民デーに行なわれる、東京ヴェルディ1969VS湘南ベルマーレ戦のキックインセレモニーに出陣し、火縄銃の試射をいたします。

この日は、新宿区内在住・在学・在勤の方は、無料観戦することができます。

詳しくは、新宿区生涯学習財団HPをご覧ください。

 

 追記:出陣完了しました。

江戸幕府 鉄砲組百人隊の行列で、かつがれている火縄銃ですが、火縄銃も細かな部分がそれぞれ違ったものがあります。

戦国時代、天文12年(1543年)頃に、種子島に伝えられた火縄銃は、日本各地で作られ始めました。中でも、近江国国友村(現在は、滋賀県長浜市)、和泉国堺(現在は、大阪府堺市)は江戸時代をつうじて火縄銃が作られたところとして有名です。

それでは、火縄銃にはどのような種類があったのでしょうか。

火縄銃部分名称図

 

 

 

 

国友系

江戸時代に最大の鉄砲製造地として知られる国友村で、その系列の職人たちが製作した鉄砲をいいます。

銃口の先が八角になっており、銃口の部分を太くした柑子(こうじ)がないものが多かったようです。堺系と比べるとかざりが少ないのが特徴です。近江国日野(現在は、滋賀県蒲生郡日野町)で作られたものには、銃の台にぼたんの花や波に千鳥の飾りをはじめ、こった飾りがついていました。

堺系

堺の鉄砲は銃の台にきれいな飾りがついていたり、銃身に金や銀等をはめこんだ、象嵌(ぞうがん)があるものが多く見られます。これは、堺系の鉄砲が店頭で売られており、外観に気をくばっていたからだと言われています。

銃身は角筒(かくづつ)がほとんどで、照準をあわせる元目当(もとめあて)が富士山の形をしていました。また、柑子(こうじ)があり、銃の台をしめる胴金(どうがね)は幅が広く、他の金具と同じように彫刻が彫られていました。

滋賀県に、国友鉄砲の里資料館があります。

   国友鉄砲の里資料館HPへ

 JR総武線大久保駅北口前に 、鉄砲隊の壁画が描かれています。

2006年4月1日に日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」に出演しました。

壁画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁画2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                 北原邦明(画)

鉄砲組百人隊 出陣の儀(製作:イワン)

 江戸幕府 鉄砲組百人隊出陣の儀(ウェブリブログ)

このページのトップヘ